HISTORY of the Hirono Golf Club 廣野ゴルフ倶楽部の歴史

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1930年春
鋳谷正輔、高畑誠一、鈴木岩蔵、伊藤長蔵が三木・廣野の地を偶然発見する
廣野の土地を発見した4人は、1920年開場の舞子カンツリー倶楽部(現・垂水ゴルフ倶楽部)のメンバーだった。このコースは開場当時9ホールしかなく、どこかにいい土地があれば18ホールのコースを造りたいと考えていたところ、ゴルフ場に適した土地があるから買ってほしいという話が持ち込まれた。さっそく視察に行くと、その土地は期待外れだったものの、道中に適した土地が見つかり、候補地として浮上した。
1931年1月10日
チャールズ・ヒュー・アリソンが候補地の視察を行い、レイアウト設計を引き受ける
そのころ、東京ゴルフ倶楽部が地代の高騰によってゴルフ場の移転を計画し、チャールズ・ヒュー・アリソンに設計を依頼していた。そのことを伝え聞いたメンバーは来日中のアリソンの元へ足を運び、候補地を一度見に来てほしいと懇請。アリソンは快諾し現地視察したところ、ゴルフ場建設に適した土地であると確信。オリエンタルホテルの一室に3日間こもり、廣野ゴルフ倶楽部のレイアウト設計を完成させた。
1931年2月20日
伊藤長蔵が現場監督を務めてコースの造成を開始
アリソンは2ヵ月で帰国したため、実際のコース造成は伊藤長蔵が現場監督を務めた。伊藤は1914年の英国遊学時にゴルフと出合い、1920年代には大谷光明と海外のゴルフコースを視察する旅に出た。1924年にはジャパン・ゴルフ・アソシエーション(現・日本ゴルフ協会)の設立に参加。廣野ゴルフ倶楽部の造成では高畑誠一と意見を交わしながら、現場監督として指揮を執った。2人の功績はグリーンにベントグラスを採用したこと。苦心を重ねてベントグリーンの育生を成功に導いた。現地で伊藤長蔵を補佐したのが上田治(後の支配人)である
1932年5月16日
18ホール竣工。資本金25万円で株式会社廣野ゴルフ倶楽部設立(代表取締役・鋳谷正輔)
1932年6月19日
開場式開催
開場記念競技は180名が参加して開催された。朝香宮殿下の始球式で開幕し、続いて18ホールストローク競技を実施。ベストグロスは、日本アマチュアゴルフ選手権競技優勝2回の赤星四郎氏が77で獲得した。
1937年10月31日
ジーン・サラゼン来場
当時35歳のサラゼンは、2年前の1935年4月に開催された第2回マスターズで最終日15番パー5の第2打をカップインさせてダブルイーグル (アルバトロス)を記録し、大逆転優勝でキャリアグランドスラムを達成していた。
1938年4月23日
ウォルター・ヘーゲン、ジョー・カークウッド来場
ヘーゲンは当時46歳で、メジャー11勝、PGAツアー通算45勝。当時42歳でPGAツアー13勝のジョー・カークウッドとともに来場した。
1939年6月7日
~6月9日
第12回日本オープンゴルフ選手権競技開催(優勝・戸田藤一郎)
1944年6月1日
戦争のため閉鎖命令。川崎重工業の戦時農場に徴用される。
1947年6月
乾豊彦を中心とする姫田市松、佐藤儀一、小林秀雄、室谷藤七、瀧川清一、竹田龍太郎の7名で委員会を結成し、コース再建に着手
1948年6月20日
イン9ホール再開
1949年6月19日
18ホールが復興。開場記念競技・祝賀会開催
1955年9月19日
~9月21日
第20回日本オープンゴルフ選手権競技開催 (優勝・小野光一)
1958年6月15日
新クラブハウス竣工
1958年10月24日
ケン・ベンチュリー、ジャッキー・バーク来場
当時27歳でPGAツアー6勝のケン・ベンチュリーと、当時35歳でメジャー2勝、PGAツアー通算13勝のジャッキー・バークが来場した。
1960年9月26日
~9月28日
第25回日本オープンゴルフ選手権競技開催 (優勝・小針春芳)
1962年6月19日
開場30周年記念競技行事開催
1963年9月28日
ジャック・ニクラス来場
当時23歳で全米オープン、マスターズ、全米プロゴルフ選手権でメジャー3勝を挙げ、PGAツアー7勝の実績を誇っていたジャック・ニクラスが来場。15番パー5をキャリーで2オンした者はいないという言葉を聞くと目の色を変え、第1打ドライバー、第2打スプーンでグリーンセンターに2オンしたエピソードは今も語り継がれている。
1967年10月2日
~10月4日
第32回日本オープンゴルフ選手権競技開催(優勝・橘田規)
1981年4月7日
チャンバー跡をJ.G.A.ゴルフミュージアム敷地として貸し出す
1982年5月21日
~5月23日
開場50周年記念行事開催
1987年6月12日
ベントグリーンへの復帰を緊急理事会で決議。チャールズ・ヒュー・アリソンの設計に近い形に戻し、USGA方式のサンドグリーンとすることを決定。
1988年11月1日
ベントグリーン使用開始
1992年5月23日
~5月27日
開場60周年記念行事開催
2002年5月8日
~5月10日
第3回ボナラックトロフィー開催
ゴルフを通じてアジア太平洋地区とヨーロッパ地区の友好を深めることを目的に1998年から隔年開催されているボナラックトロフィー(アジア太平洋選抜-ヨーロッパ選抜マッチ選手権)の会場となる。
2005年10月13日
~10月16日
第70回日本オープンゴルフ選手権競技開催 (優勝・片山晋呉)
2007年5月26日
~5月28日
開場75周年記念行事開催
2015年7月8日
~7月13日
第100回日本アマチュアゴルフ選手権競技開催 (優勝・金谷拓実)
2018年4月25日
マーティン・イーバートにコース改修を依頼
2019年1月4日
~9月30日
マーティン・イーバートによるコース改修工事
全英オープン開催コースのリニューアルを数多く手がけるマーティン・イーバートに改修工事を依頼。2019年1月からコースをクローズし、9ヵ月かけて大規模工事を行った。
2022年6月
開場90周年を迎える